このホームページは、名古屋名物・味噌煮込みうどん・きしめんをはじめ、ありとあらゆる名古屋の麺について紹介している
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きしめん

きしめん ◎由来・・名古屋きしめんの由来については、雉子肉を入れた「きじめん」がおこりであるとか、名古屋で紀州出身者の者が作った「紀州めん」がなまったものとか、さまざまな説がある。平打ちうどんをいつ頃からきしめんと呼ぶようになったのかは明らかではないが、江戸初期の『東海道名所記』に、三河の芋川(現在の刈谷市今川)の名ひらうどんのことが記されている。のちに出た『嬉遊笑覧』では、芋川のうどんをとりあげ、江戸の「紐革うどん」は芋川うどんのなまったものであろうと述べている。明治に入ってすでに青菜と油揚げを入れたきしめんがあったのであるから、江戸末期の天保、嘉永のころには現在の姿のきしめんが生まれていたことが推定される。
◎碁石型?・・現在では「きしめん」といえば、薄く平べったい麺であるが、もともとは碁石型だったらしい。室町時代の『庭訓往来』(僧玄彗・作)のなかに「碁子麺」の名前が出てくる。これは小麦粉を水で練って薄くのばし、細い竹筒の先で碁石の形に押し切り、煮て黄な粉をつけて食べたとある。これが徐々に平うどんの様に伸びて現在の形になったと思われる。

刈谷市今川町 きしめん発祥の地 <三河饂飩>

形態は関東のひもかわ饂飩に似ている。しかしきしめんには紀州めんや雉子の肉を入れたので雉子めんと名付けられたとされている説もある。文献からみると室町期の教科書「庭訓往来」に「碁子麺」とあり、平たく延ばした麺を碁石の形に切ったものとか、別に短冊形に切ったものとみられるものから、恐らく語源はそのあたりであろう。では平たく長くしたルーツはどこにあるのか。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に今岡村のいもかわに名物の麺類があると記され、井原西鶴の「好色一代男」では、芋川という里に「平打ちうどん」という名物があると記されている。この芋川とは東海道の何処であるかが問題である。古地図及び地名改正された今日の地図を照合して、ついに発見できたのが現在の刈谷市今川であった。 形態からみた平打ちうどんが地名をとった通称芋川うどんで、そこを境として西に行くと平たい麺から碁子麺そしてきしめんとなったと考察される。 「料里山海郷」に「ほぼ五分ほどの短冊に切り」とあるところから、丸い形態を細長形にしたものであったことをほぼ裏付けることができる。従って東に伝播したものが次第に訛って関東ではひもかわ饂飩となったのであろうと推察できる。きしめんもひもかわ饂飩も、その発祥の地は刈谷市今川町であることが一応判明した。 (麺業新聞平成9年1月10日)


【商品一覧

製麺所名 商品名 麺の太さ
・幅
麺の硬さ
・コシ
標準
ゆで時間
スープ その他 販売期間
甘口・
辛口

合い
一富士
製麺所
きしめん 少し広め 普通 3〜4分 やや
甘め
濃い 花かつお入り
角千本店 釜あげきしめん 2個箱入 普通 普通 6〜7分 普通 濃い

手延きしめん 幅広 コシがある 6〜7分 普通 普通 ゆで伸びせず、なめらかな舌ざわり
2食入よもぎしめん(6個) 普通 普通 5〜6分 甘口 普通 健康食品のよもぎを使ったさわやか食品
西尾製粉 安城和泉手延
半生きしめん
幅広で
薄い
固めでコシが強くもっちりしている 5分 なし
安城和泉特性の半生手延めん 9月〜3月
安城和泉手延
きしめん
幅広で
薄い
固めでコシが強い 6分 なし
安城和泉特性の手延乾めん 通年
かなりや名古屋きしめん 幅広で薄い もっちりした歯応え
なし
乾麺 通年
セントラル
製麺
那古野手延
きしめん
普通 硬め 7〜8分 甘口 薄い なめらかな舌ざわりと腰の強さ 6月〜8月
秋田製麺所 手延べきしめん 幅広 なめらかな舌ざわりで腰がある 7〜8分 なし
良質の小麦を使用し伝統的な製法で作られています 通年
麩屋秀商店 きしめん 平たい 普通 約10分

島田作り 通年